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ただ、凄くもやもやしました。としか言えない。

  • Posted by: 松野泉
  • 2010-11-14 Sun 01:37:20
  • -
マームとジプシーをめぐる個人的なぶつぶつとした呟き。文章でもなく、感想でもなく、ただのぶつぶつなので悪しからず。アトリエ劇研の11月13日。「ハロースクール、バイバイ」単純に興奮したのだ、女の子の体操服姿に。その汗に。中学生の時、体育館から聞こえる怒声、喚き合うブルマ姿の女子。女子バレーボール部。彼女達は幾多ある部活の中でも異質の存在だった。その練習風景はまるで青春ノイローゼにおかされた狂人達の祝祭みたいだった。いい加減なサッカー部員の僕は休憩時間、ずるむけの膝や肘を擦りながら頭から水をかぶり、泣いているのか、怒っているのか分からない顔をして、息を切らしている女子を見て、なんだか見てはいけないものを見ているようで、恥ずかしく、目を合わす事ができなかったけど、とても興奮した。彼女達はみんな何かに取り憑かれたように涙を流す程に自分達に酔いしれ、興奮していた。先生に平手打ちされ、泣きながらオウムのように「やります」と繰り返す女子は、調教師に鞭で打たれるマゾヒストよりも活き活きと輝いて美しかった。ところで、複数のカメラが同じ時間を同時にとらえている。そしてそれを後から複眼的に検証する事ができる。ガスヴァンサントのエレファントのように二つの異なった視点がある時に交わるという事ではなく、誰の視点でもないカメラアイが、同じ時間を記録している。最近、そういった同時多発、時間のループ、平行に進む複数の時間軸(視点)を作品に取り込む人が多いように感じる。コンタクトゴンゾさんのブログにあるYCAMのパフォーマンス映像(3人のカメラマンが撮影した映像が縦に三つ並んでいる)を観て、不思議な感慨を持ったのはそういった流れがあったからだが、それはyoutubeなどで、一つの映像を観たときにその関連映像がずらっと現れる感覚も含んでいる気がする。同時多発するものは必ずしも同じ時間軸にある複数の事実というものではなく、ステレオタイプとしての関連事物にも及ぶ。言葉遊びのような派生から何か確信に繋がるような関連性が浮かび上がってくる事がある。それは広島というキーワードを元に、演劇展示というスタイルで作品を発表したマレビトの会の「広島ーハプチョン」を観たときにも感じた事だ。観客さへもその作品の全体を把握する事ができない状況の中で、作品は誰のために上演されているのか、ジョンケージが50年以上前に開放してしまった扉を未だに未知のものとして重宝がっているようにも感じる。ところで、演劇の舞台は不思議な空間で、舞台は構造上、客席のどの場所から観ても中心をとらえる事ができるようになっているらしい。中心を設定する事は演劇にとってとても大事な事なのだろう。映画のように境界が設定されない、曖昧な空間の中で、何処に中心を設定するのか、とても興味深い問題だ。物語の枠の中で、現実の世界で父親の存在価値が薄れ、家族という神話が崩壊した時に、ギリシャ悲劇のような葛藤と成長、もしくは裏切りと復習などのシンプルな構造としての物語が影をひそめ、群像劇、同時多発的な物語が主流になってきているのだとしたら、演劇はその中心を何処に見いだすのか、物語る事を避け、あえて、観客と舞台の境界を限りなくゼロに近づける事で(舞台上で役者が本当にセックスしたり、恋愛したり、暴力を振るったり)物語りのように既に起こった事をいかに見せるかではなく、その発生地点に立ち会うような表現。もしくは中心など存在しないものとして、複数の視点を一つの舞台上に設定したり、演技そのものを展示物として中心をいくつも拡散させてみたり、演劇はとても刺激的な実験場のようだ。体操服姿の女子中学生達は客席をあるカメラのポジションととらえ、自分達のフォーメーションを移動させていく事によって、観客の視点を移動させていく。繰り返される時間。その記録された筈の時間がそれぞれの時間軸の中で位相のずれのようなものを起こして行く。ある瞬間に向かう誰かの主観が、唐突に共有される記録としての時間に回収されていく。その面白さがクドい程に強調されていく。何より、女子中学生のバレーボール部という過酷な世界を繰り返す事によって、繰り返しを演じる役者は肉体的に消耗していく。そして何より面白いのは、その激しい運動の繰り返しの中で、明らかに役者自身が我を忘れて高揚していく姿だった。繰り返す時間を演じている筈の役者が、どうにも感情を抑えきれなくなり、泣きながら繰り返しのシーンを演じていく。その役者(女子中学生で転校生という素晴らしくベタな設定で、これがまた良い)以外の役者は客観的に繰り返す出来事を描写しようとつとめる。そのアンバランスな状況がとても感動的で心を動かされた。傘を持った転校生が雨の校庭でサッカー部の男子が寝転がる顔の前に立ち、傘を差し伸べる瞬間、男の子が見上げた先に見える女の子の顔と、その対角線上に堂々と開かれるスカート。それは一回きりの瞬間(奇跡)として、時間という概念そのものを崩壊させる。こういう瞬間を目撃した時、それを言葉に置き換える手段を僕は知らない。ただ、凄くもやもやしました。としか言えない。
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